100日続けたこと。
昨日、日曜ヨガも朝早くから多くの方にご参加頂き、満席御礼有難うございました。
予定が空いていればヨガをすると言うより、最近は皆さん先にヨガはこの日!と決めてスケジュールを立てて頂き、生活の一部にヨガを自然に取り入れて頂いている事に心から感謝しております。
「ヨガが出来なかった週がなんか気持ち悪い、身体が重たく感じます。やっぱりヨガすると身体が気持ちいいですね」
そんな通って下さる方からの嬉しいお声も頂きます。何かを習慣づけて続ける事は中々容易ではありません。特に脳は怠け者なので楽な方に楽な方に行きがち。
ですので、私はそんな時もう先に手帳に予定を入れてルーティン化し続ける様にしています。小さな事から今を変えていく事が未来を変えていく事に繋がります。
さて、今日はその「続ける」と言うお話し。
皆さんは「百日詣」って知っていますか?氏神神社や寺社などに100日間続けて毎日参拝することを 「百日詣」といいます。
私は、ある人へ願いを胸に百日詣をこの春の3月1日からスタートしました。
雨の日も。風の日も。嵐の日も。ガンの後遺症で体調が悪く這っていく様な日もありました。
また忙しく深夜24時近くの参拝になってしまう時も、そしてスケジュール調整が出来ずまだ朝日が上がる前、早朝4時の時も。 毎日休む事無く。
睡眠時間を削り決めた事を貫き通す修行の様な時間。人間体調がいい日も悪い日もありますし、どうしても一日のスケジュールが合わない日も天候が荒れて外に出るのが難しい日もありました。
今日は〜本当に勘弁してもらいたい〜!と思う日が何回もありました。
でもそんな時、自分は何を望んでいるのか。何の為にやっているのか。自問自答し自分と改めて向き合う大切な時間でもありました。
今、振り返ると静寂な神社の静けさの中で柏手を打ち響き渡る澄んだ音を聞きながら自分自身と向き合い見えない何かを少しずつ鎮めていくような、生きてきて経験した事の無い特別な時間でした。
途中、父が亡くなり喪に服す期間は神社に入れないので間を挟み100日と1ヶ月少し。
祈る事。自分の願いはいつからか感謝に変わっていました。
手を合わせる事で自分と対話し自然と神様から答えがもらえた時間。
背中を押してもらい毎日見守ってもらえた時間。
そして毎日通う中で、自分と同じように神様に「祈り」を捧げる人の姿に強く心を動かされる事が、何度もありました。
老若男女世代を越えて謙虚になれる一瞬。小さな人間が大きな神様の前で頭を下げる。大きく柏手を打ち、大きな力にすがる 手を合わせ一心に祈る方を見かけると、
敬虔な、崇高な美しさを感じました。その姿に思わず自分も手を合わせてしまう。あなたの願いも叶います様に。祈る姿は本当に美しいなと思います。
喜びの祈り。 悲しみの祈り。 苦悩の中での祈り。 そして感謝の祈り。
静かに目を閉じそっと手を合わせて、毎日毎日通う事で自分が少しずつ変化していく。
最後の日。拝殿前に立った時、
自然と「100日間、有難うございました」感謝で涙がボロボロ出ました。
今、思い出しても涙が出ます。
願いは叶っても叶わなくてもどちらでもいい。
叶わない時、は叶わない理由が あるから叶わない。
辛さや苦しさはもしかしたら乗り越える為の「財産」なのかもしれない。神様は願いを叶えるべきなのか叶わないでもっと勉強した方がその人の為になるのかを知っている。
またいつでも来なさい。大丈夫。 今日も降りる石段で背中を 優しく撫でてもらった気がしました。
ただ今日と言う日を精一杯。神様に見られて恥ずかしく無い一日を 精一杯生きるだけ。
心の平穏を神社にいく度に感じさせてもらいました。
忙しい日々の中であなたは、どんな方法で「心の平穏」見つけますか?
最後までご覧いただき有難うございました😊今日も善き日をお過ごしください。namasute🙏
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